こんにちは♪YUME♡miyakoです。
昨日は中学校のテスト対策授業で中3の男子から面白い質問があったのでご紹介しますね(^^♪
みなさんは学生時代の授業中、先生が「こうですよ。」と教えられた内容を素直に受け入れましたか?それとも、「え~?」と疑ってかかりましたか?
私は後者”疑う”タイプでした(*^^)v 「あれ?」と思ったら、自分で独自に調べました。パソコンもスマホもない時代ですから、もちろん図書館に入り浸って調べました。それが関係のない知識までも得られたという”副産物”を得るのですが、時間はかかります(*^^)v
昨日は、私みたいな子を見つけてにやけた事例です♪
その生徒を仮にYくんとします。
Yくんは、小学校の時から「納得しないことは受け入れないタイプ」です。
私はYくんのそんなところが大好きです♪
納得しないと前に進まないので、「ま、いいか」という緩さは学習の中にはありません。
【昨日のエピソード】
Yくん「先生、ガリレオのピサの斜塔の実験が理解できません。書いてあることは分かるけれど、自分の頭ではどうしても納得できません」
私「わかる。わかるよ。ガリレオ以前とガリレオ前では”この考え方”は180度変わったものね。それ以前はね・・・・(長々と話は続きます(^-^;)」
一応ガリレオのピサの斜塔実験のおさらいをしますね(#^.^#)
ガリレオによるピサの斜塔実験
ガリレオ・ガリレイが実施したとされる物理実験。ガリレオは、ピサの斜塔の上から質量の異なる2つの物体を同時に落とし、それらが同時に地面に達することを観測したと伝えられている。この実験はガリレオの弟子のヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニによって世に広まった。しかし、複数の学者はガリレオはこの実験を実施していないと主張している。
というものなんです。
Yくんはこの説を「言いたいことはわかるけれど、質量が違うと落下速度が違う現実を受け入れられない。」と私に言いました。
この考え方は大変重要で、教えられたことを鵜呑みにする学習はよくありません。
先生が教えることが正しい、とか、教科書に載っていることは正しい、なんて幻想です。
その証拠に、このピサの斜塔の実験をガリレオが実施していない、という学者が複数いるにもかかわらず、中学の理科の教科書にはあたかも「事実」のように掲載されていますから。
私「実験は学校でしたの?」と聞くと、他の生徒のIくんが答えてくれました。
Iくん「理科の授業で、先生が真空実験をしました。」
私「実験を見たのね。でも納得できないんだね。真空でなくても、ピンポン玉と、それと同じくらいの大きさの粘土で作ったボールを2階の窓から落としたら、同時に落ちることが分かるよ。」と伝えました。
大学時代、物理が専門でしたので、ガリレオの話はもっとYくんに伝えたくて、話は続きました(^-^;
学校で教えることが正しいとは限らないし、テストのため、受験のため、と理屈も理解せずに暗記する教育には反対です。
物理学はもちろん、科学という学問は「疑う」ことから始まります。
今、この瞬間も、未証明の問題に立ち向かっている、未知のものを探し続ける、既存の説を怪しんで反論を証明しようとしている科学者が多くいます。
Yくんはテストで得点を取るためには、一旦、このガリレオの説を信じたふりをしてテストを受ければいいと思います。しかし、この「信じられない」という気持ちを持ち続けて欲しいと思います。
昨日、最後に私はこう言いました。
私「Yくん、今日は意見を言ってくれてありがとう。Yくんと物理の話をして、とても楽しかった。先生が正しいとは限らない。自分がおかしいと思ったことを追求すればいいよ。」
Yくん「ありがとうございました。」
私たちが見ている物は全て真実ではないし、全く違うということはよくあることです。
Yくんのような生徒に出会たことを感謝しています。
昨日、「先生や教科書、問題集に書いてあることが正解ではない」と伝えられたことを嬉しく思います。
「右を向きなさい。」→「はい、右を向きます。」✖
「これが正しいです。」→「そう思います。」✖
私は、教育の現場にいて「これは違う」と思うことが沢山あります。
だからこそ、Yくんが抱いた違和感を私も感じることがよくあります。
違和感を大切にして生きていきたいと思いますし、生徒にも伝えていきます。
疑うことから学問は進化します。
自分自身の脳も進化します(*^^)v
今日はこのへんで(#^.^#) ごきげんよう♬